難易度高めの1990年のイタリアワールドカップのクイズ全部で35問です。
西ドイツ
西ドイツとして出場する最後のワールドカップとなりました。
3位
しかしイタリア国民は納得いっていなかったでしょう。
カメルーン
決勝トーナメント1回戦でコロンビアを破ってベスト8まで進出しました。
フランツ・ベッケンバウアー
選手と監督両方で優勝を成し遂げました。
ロジェ・ミラ
この時すでに38歳で現役を引退していましたが、大統領からの要請で代表復帰を決意しました。
アンドレアス・ブレーメ
レネ・イギータ
時にはDFより前でプレーするほど前に飛び出すプレースタイルでした。しかし、決勝トーナメント1回戦のカメルーン戦ではそプレースタイルが仇となってロジェ・ミラにゴールを許しました。
クラウディア・カニーヒア
長髪と俊足が特徴でした。日本ではイタリア語読みのカニージャと呼ばれていました。
ワルテル・ゼンガ(イタリア)
初戦のオーストリア戦から準決勝のアルゼンチン戦でカニーヒアに決められるまでの記録です。
オマーン・ビイク
1994年のアメリカW杯、1998年のフランスW杯にも出場しました。
イビチャ・オシム
後に市原(現千葉)、日本代表の監督を務めました。
セルヒオ・ゴイコチェア
ゴイコチェアのセーブで2度のPK戦を制しました。当時コロンビアリーグに所属していました。
クリス・ワドル
巧みなフェイントを魅せる選手でした。髪型も特徴的でしたが大会途中でバッサリ切りました。
フェラー(西ドイツ)とライカールト(オランダ)
ライカールトがフェラーに対して何度か唾を吐きつけました。ライカールトがそこまで怒った理由は不明です。
フレディ・リンコン
90年代のコロンビア代表を支えた選手です。W杯には3度出場しました。
ユベントス
大会前の代表キャップ数は1で全くの無名選手でした。後に磐田でプレーしました。
イワン・ハシェック
弁護士の資格を持っています。
ミッチェル(本名ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ)
GSの韓国戦でハットトリックを達成しました。
サバナゾビッチ
1人少なくなったユーゴスラビアでしたがハンデを感じさせない戦いぶりでした。
サルディーニャ島
フーリガン隔離するためイングランドのGL3試合はサルデーニャ島のカラャリで行われました。
スタディオ・サン・シーロ(ミラノ)
シード国ごとに開催都市が割り当てられ、西ドイツはミラノが割り当てられました。ちなみにイタリアはローマが割り当てられて準々決勝までの5試合をスタディオ・オリンピコ(ローマ)でおこないました。
シーラス
大会後セレソン史上最低の10番と揶揄されました。後に京都でもプレーしました。
ビスマルク
試合には出場しませんでした。後にV川崎、鹿島でプレーしました。
韓国とUAE
両チームともに3戦全敗でした。
4試合
守備的な試合が目立った大会でした。
ウーベ・バイン
ペドロ・モンソンとグスタボ・デソッティ
トマーシュ・スクラビー
決勝トーナメント1回戦のコスタリカ戦でハットトリックを記録しました。
イタリア、アルゼンチン、ブラジル、西ドイツ、ベルギー、イングランド
スペインとオランダはポット3に入りました。
コスタリカ
ユベントスのようで格好良かったですね。
ヤン・ステイスカル
5得点
苦しみながら勝ち上がっていったことがわかりますね。
オランダとアイルランド
アイルランドが2位となり、3位となったオランダは決勝トーナメント1回戦で西ドイツと対戦することとなりました。
ルイス・ガベロ・コネホ
GSで好セーブ連発でしたが決勝トーナメント1回戦のチェコスロバキア戦は怪我で欠場。
リュボミール・モラフチーク
2002年に登録名モラフチクで市原(現千葉)に所属しました。
以上となります!